「師弟」で迫る若者論


学歴、いじめ、ニート…といった、若者をめぐる社会現象を題材にした対話集「ユースカルチャーの社会学」(書肆クラルテ、1995円)=写真(上)=が刊行された。登場するのは“元若者”の大学教授と、“現役の若者”の大学院生。親子ほど世代の違う二人は時に互いを皮肉り、時に「生きにくさ」に悲観的になりながらも、より多くの共感を得るための言葉を丹念に探る。

齊藤 大起



■当事者のナマの声

 横浜国大教授の渡部真(59)=教育社会学=と同大大学院生の小池高史(28)が、2006年から10年まで雑誌「看護教育」に連載した対談を基にまとめた。専門家による社会分析そのものは珍しくないが「師弟」によるざっくばらんな対話形式は目新しい。本書の言葉を借りれば「自分のなかで考えがいくつかに分裂し、お互いに矛盾している」(渡部)ことを表現するのに成功している。多様な考え方に思い至らせているのだ。

 遠慮がない小池のキャラクターが好ましい。例えば冒頭。「教育の問題や若い人の問題を(略)ズバズバっと斬っていくということなんですが。そこで小池さんにちょっと手伝ってもらえないかと思いまして」と呼び掛ける渡部に「なるほど、自分にそんな斬れ味はないと気づいたのですね」と返す。

 その小池自身が若者論の「当事者」であることも、内容に深みを与えている。神戸連続児童殺傷事件や「キレる17歳」が話題になったころに少年時代を送った。「若者に対する否定的な意見の中で育ってきた」。けれども、そういう批判は印象論が多くナマの声はなかなか顧みられなかった、という違和感が「当事者」にはある。



■集団の中の「私」

 15編の対談の多くに通底する問題意識は、集団・社会と「私」との関係性だ。「集団嫌い」を自覚する渡部は、いじめ問題の項で「一人では何もできないくせに、集団になるとわいてくるパワーが大嫌いです」と直截に語る。研究者が抱く信念がにじみ出る。

 横浜市営地下鉄が乗客に席を譲るなどのマナーを呼び掛けた「スマイルマナー」を話題にした章では「良いこと」に潜む思想的な問題を指摘する。「良いこと」を推し進めることが時に権力的な強制力になっても、それが「良いこと」であるだけに表立って批判しにくいというのだ。子どもたちへの奉仕活動の義務化の議論とも共通する。

 中でも「体育嫌いについて」の章は読みどころだ。渡部は、少年時代に体育が苦手だったと打ち明ける。運動ができ、活発な子が評価される―という学校独特の価値観の中にあって、下手な姿を見られたくないと「自意識で、がんじがらめ」だった。一方、小池は対照的に「そういうもんじゃないか」「気にしなくてもいい」と冷静に受け止めていたという。

 このように、二人の間に温度差はある。が、個人差が“生きる力”の差として固定化されることには両人とも抵抗する。「常に『私』を失わないことが大切だ」と渡部。“現若者”の小池は「同世代でも状況は人によって違う」と、当たり前だけれど忘れがちな視点を強調する。