2014年1月13日月曜日

第40章 保吉の手帳から

--保吉の手帳から」は、作家の芥川龍之介が1923年(大正12年)に雑誌「改造」に発表した短編小説。彼が24歳からの2年間、横須賀の海軍機関学校の英語教師をしていた頃の思い出を綴った作品。「わん」「西洋人」「午休み――或空想――」「恥」「勇ましい守衛」という5つの話からできている。(まとめ・渡部)--

W 今回は前回に引き続き、芥川龍之介の作品です。「保吉の手帳から」という小説で、岩波書店から出ている単行本『芥川龍之介小説集 六――自伝小説篇』では、16ページあります。短編小説ですね。
K 保吉というのは、芥川のことなんですか?
W そうなんです。芥川には、この「保吉の手帳から」のほかにも、堀川保吉という人間を主人公にした「保吉もの」というジャンルの小説がいくつかあります。この保吉は、芥川本人です。あまり知られていないかもしれませんが、おもしろいですよ。率直な書きっぷりで。芥川がどんな人だったかが、よくわかります。「文章」「寒さ」「魚河岸」「お時儀」「あばばばば」「少年」などという作品があります。
K そうですか。全然知らなかったです。これから読んでみたいですね。
W 前回の「大導寺信輔の半生」では、自分の生徒、学生の頃のことが描かれていましたが、この「保吉の手帳から」では、逆の方向から教師-生徒関係や学校のことを考えています。
K 逆の方向と言いますと?
W 教師の側から、学校がどう見えていたのかという問題です。「保吉の手帳から」は、芥川龍之介が神奈川県の横須賀にあった海軍機関学校の教師をしていた時のことが書いてあります。略年譜(「新潮日本文学アルバム13」)によりますと、芥川は1916年(大正5年)の7月に東京帝大の英文科を卒業し、同じ年の12月から海軍機関学校の教授嘱託になりました。まだ24歳でしたが。英語の先生です。
K 芥川にも教師時代があったんですね。
W そうですね。将来、海軍に入る十代の若者を教育する学校でした。自分が生徒の頃は、学校をあんなに嫌がっていたのにね。まあ、僕もあんまり人のこと言えないけど。
K 大学を卒業していて、作家を目指していたんでしょうから、だいたいそういった職業選択になりますよね。
W この「保吉の手帳から」、5つのごく短い話からできてるんですけど、小池さんは、どれが一番おもしろかったですか?
K 僕は、最初の「わん」ですね。保吉はレストランにいて、二人でお酒を飲んでいる軍人が店の外にいる貧しい少年を犬扱いするところを見るという話です。

 二人は麦酒を飲みながら、何か大声に話していた。保吉は勿論その話に耳を貸していた訳ではなかった。が、ふと彼を驚かしたのは、「わんと云え」と云う言葉だった。
        (芥川龍之介『保吉の手帳から』「わん」より)

「云わんか?おい、わんと云うんだ。」
 乞食は顔をしかめるようにした。
「わん。」
 声はいかにもかすかだった。
「もっと大きく。」
「わん。わん。」
乞食はとうとう二声鳴いた。と思うと窓の外へネエベル・オレンジが一つ落ちた。――その先はもう書かずとも好い。乞食は勿論オレンジに飛びつき、主計官は勿論笑ったのである。
       (同上)

「主計官。」 
保吉はしばらく待たされた後、懇願するようにこう云った。主計官は肩越しにこちらを向いた。その唇には明らかに「直(すぐ)です」と言う言葉が出かかっていた。しかし彼はそれよりも先に、ちゃんと仕上げをした言葉を継いだ。
「主計官。わんと云いましょうか?え、主計官。」
 保吉の信ずるところによれば、そう云った時の彼の声は天使よりも優しいくらいだった。
        (同上)

K この二人の軍人のうちの一人は保吉の学校の主計官でもあって、保吉自身が給料を受け取る相手でもあるんですね。最後に引用した部分では、保吉が給料を受け取るときに「わんと言いましょうか?」と自分から言うのですが、作家が犬扱いされている貧しい少年に自分を重ねているんだと思います。
W 12歳くらいの少年と書いてあります。「わん」という話、僕も好きですね。芥川龍之介は、普段はおとなしい紳士なんだけど、この小説の最後のように、時々かんしゃくをおこすことがあって、そこがとっても魅力的です。信頼できる人だなあ、と思えます。夏目漱石もそうですけど、やはり権力とか金力には強い嫌悪感を持っていて、それがたまに爆発する。
K それが短い文章のなかに凝縮している感じがしますね。
W 前回の「大導寺信輔の半生」の「友だち」の章にも、この「わん」に似たエピソードがありました。高校時代に、芥川の友人で、或る男爵の長男が海辺で銅貨を投げると、その場にいた少年たちや海女がそれを拾おうと海に飛び込む。芥川の友人はそれを見て喜ぶ。「信輔は未だにありありと口もとに残酷な微笑を浮べた彼の友だちを覚えている」(「大導寺信輔の半生」)と書かれています。
K 「わん」の出来事に遭遇して、学生時代のその出来事を思い出したのかもしれませんね。かつては友人の残酷さだけを感じていたけど、大人になって自分が不本意な仕事につくようになって、当時海に飛び込んだ人たちの気持ちがわかるようになったということかもしれません。
W なるほど、そうか。
僕は、「保吉の手帳から」の3つ目の話「午休み――或る空想――」も好きですね。なにか、夢を見ているような感覚で。

彼は悪魔に別れた後、校舎の中へ靴を移した。教室は皆がらんとしている。通りすがりに覗いて見たら、ただある教室の黒板の上に幾何の図が一つ書き忘れてあった。幾何の図は彼が覗いたのを知ると、消されると思ったのに違いない。たちまち伸びたり縮んだりしながら、「次の時間に入用なのです。」と云った。
 保吉はもと降りた階段を登り、語学と数学との教官室へはいった。教官室には頭の禿げたタウンゼンド氏のほかに誰もいない。しかもこの老教師は退屈まぎれに口笛を吹き吹き、一人ダンスを試みている。保吉はちょいと苦笑したまま、洗面台の前へ手を洗いに行った。その時ふと鏡を見ると、驚いたことにタウンゼンド氏はいつのまにか美少年に変り、保吉自身は腰の曲った白頭の老人に変わっていた。
 (芥川龍之介『保吉の手帳から』「午休み――或空想――」より)      

W 上の引用の前にも、出会った機関兵を「あれはポール・ゴオギャンである。あるいはゴオギャンの転生である。」と言ったり、2匹の毛虫の会話を記述したり、「昔は錬金術を教えた悪魔も今は生徒に応用科学を教えている」と述べたりしています。少し変というか、おかしいといえばおかしいんだけど。どう思いました、このあたり?
K これ一つだけ異色な感じの話ですね。空想をそのまま書いているということなんでしょうかね。黒澤明の「夢」のような。面白いですけどね。
W 次は4つ目の話「恥」です。ここで初めて授業のことというか、教室内の教師―
生徒関係に触れています。

ある時彼は二年級の生徒に、やはり航海のことを書いた、何とか云う小品を教えていた。それは、恐るべき悪文だった。マストに風が唸ったり、ハッチへ浪が打ちこんだりしても、その浪なり風なりは少しも文字の上へ浮ばなかった。彼は生徒に訳読をさせながら、彼自身先に退屈し出した。こう云う時ほど生徒を相手に、思想問題とか時事問題とかを弁じたい興味に駆られることはない。元来教師と云うものは学科以外の何ものかを教えたがるものである。道徳、趣味、人生観、――何と名づけても差支えない。とにかく教科書や黒板よりも教師自身の心臓に近い何ものかを教えたがるものである。しかし生憎(あいにく)生徒と云うものは学科以外の何ものをも教わりたがらないものである。いや、教わりたがらないのではない。絶対に教わることを嫌悪するものである。保吉はそう信じていたから、この場合も退屈し切ったまま、訳読を進めるより仕かたなかった。
(芥川龍之介『保吉の手帳から』「恥」より)

W 上の引用部分で、教師は教材より、自分の心臓に近い何ものかを教えたがるものである、と言うところがありますが、このあたりはどう思いますか?
K いや、その通りですよね。教師自身の「道徳、趣味、人生観」を「心臓に近い何ものか」と言い換えているのは面白いですね。僕は以前そういったことを「教育欲」という言葉で考えていたことがあります。
W ああ、小池さんから聞いたことありますね、「教育欲」という言葉。芥川は、生徒は学科以外のものを教わりたがらない、というか嫌悪するものだってことも言ってます。
K 教師の側はそこが分からないことが多いんだと思います。それで煙たがられる。
W どんな面白い事でも、教室という場で教師と言う立場の人から教わると厭になるのかな?まだ、教材の方が良いと言うか。
K そういう面もあるかもしれませんね。
W 僕は、教科書と全然関係なくても、おもしろい話をしてくれる先生の方が好きでしたけどね。ただそういう先生には、ほとんどであわなかった。一番興味をひかれたのは、予備校の時の英語の先生の話かな。ある大学から教えに来てた先生で、受験に全然関係ないことばかり言うんだけど、厭世的で、すごく楽しかった。
K まあ少なくとも道徳や人生観の話は面白くないことが多いでしょ。
W その先生の話は反道徳的というか、人生論をからかうような話ばっかりでしたね。
あと、上の引用のとこで、芥川が教材を「良くない、面白くない」と思いながら教えているところにも興味をひかれました。「恐ろしい悪文だった」ですからね。僕も教師になってからは、こういう経験ありますけど、生徒や学生の時は、先生がそんなふうに思うことがあるなんて、想像もできなかった。
K 今の大学だと、教材は自由に選べることが多いんじゃないですか。
W 自分が面白いと思って、ある教材を教えていても、学生の人が全然面白くないと思うことはしばしばおこります。でも、自分が面白くないと思って喋っている内容を、学生の人が面白いと思ってくれることは全くありません。結局、自分が面白いと思うことをしゃべるしかない、というか。
K なるほど。
W それから、この「恥」という話、芥川が予習してきた部分が早く終わってしまって、残りの時間どうしようと困ってしまったことなんかも書いてあって興味深いです。
教育雑誌なんかで、学校の先生が書いた授業の話とか読むことがありますけど、たいてい成功談というか、授業がうまくいった話ばっかりなんですよね。本当は失敗談の方が読んで面白いし、参考にもなるんだけど。教師のプライドが許さないのかな。「私の授業」という原稿を頼まれて、失敗談だけ書く先生がいたら、僕は尊敬しちゃいますけどね。この芥川の「恥」という話には、失敗談しか書いてありません。
K 失敗談は面白いですよね。人の失敗談だけを読んで生きていきたいとか思います。
W 今回の「保吉の手帳から」という作品、芥川自身の体験談、それも横須賀で学校の教師をしていた時の5つのエピソードだけ扱っています。だけど5つとも独立しているし、現実をそのまま写し取ったものから、幻想的なものまで、話の性格が実に多様なんですね。5つの話が相互に似ていない。すごいなあと思いました。芥川龍之介なんだから、あたりまえか。
K はい。なかなか面白かったです。

漱石と芥川の教師体験

W 次は夏目漱石の「吾輩は猫である」からの引用です。猫の飼い主の苦沙弥先生は、まさに中学校の教師なんです。学校で多くの生徒を相手にしています。ある日、古井武右衛門という生徒が苦沙弥先生の家を訪ねてきます。悪戯がばれて、放校になるかもしれない、どうしたらいいだろうという相談なんです。横でその様子を見ていた猫は次のように考えます。
  
 吾輩がこの際武右衛門君と、主人と、細君及雪江嬢を面白がるのは、単に外部の事件が鉢合せをして、その鉢合せが波動を乙なところに伝えるからではない。実はその鉢合の反響が人間の心に個々別々の音色を起すからである。第一主人はこの事件に対してむしろ冷淡である。武右衛門君のおやじさんがいかにやかましくって、おっかさんがいかに君を継子あつかいにしようとも、あんまり驚ろかない。驚ろくはずがない。武右衛門君が退校になるのは、自分が免職になるのとは大に趣が違う。千人近くの生徒がみんな退校になったら、教師も衣食の途に窮するかも知れないが、古井武右衛門君一人の運命がどう変化しようと、主人の朝夕にはほとんど関係がない。関係の薄いところには同情も自から薄い訳である。見ず知らずの人のために眉をひそめたり、鼻をかんだり、嘆息をするのは、決して自然の傾向ではない。人間がそんなに情深い、思いやりのある動物であるとははなはだ受け取りにくい。ただ世の中に生れて来た賦税として、時々交際のために涙を流して見たり、気の毒な顔を作って見せたりするばかりである。云わばごまかし性表情で、実を云うと大分骨が折れる芸術である。このごまかしをうまくやるものを芸術的良心の強い人と云って、これは世間から大変珍重される。だから人から珍重される人間ほど怪しいものはない。試して見ればすぐ分る。この点において主人はむしろ拙な部類に属すると云ってよろしい。拙だから珍重されない。珍重されないから、内部の冷淡を存外隠すところもなく発表している。彼が武右衛門君に対して「そうさな」を繰り返しているのでも這裏の消息はよく分る。諸君は冷淡だからと云って、けっして主人のような善人を嫌ってはいけない。冷淡は人間の本来の性質であって、その性質をかくそうと力(つと)めないのは正直な人である。もし諸君がかかる際に冷淡以上を望んだら、それこそ人間を買い被ったと云わなければならない。正直ですら払底な世にそれ以上を予期するのは、馬琴の小説から志乃や小文吾が抜けだして、向う三軒両隣へ八犬伝が引き越した時でなくては、ならない無理な注文である。
(夏目漱石「吾輩は猫である  十章」より)

K この正月に実家に帰省したら、自分の本棚に「吾輩は猫である」の文庫本があるのを見つけたんです。あんまり読んだ記憶がないんですが、何であるんだろうって不思議に思いながら、なんとなく持ち帰ってきました。
W 「冷淡は人間本来の性質である」「冷淡以上のものを望んだら、人間をかいかぶったことになる」ってあたり、どうですか?
K えーと、自分はよくそう言われますね。
W あはは、そうなんだ。小池さん≒冷淡。
「個人主義」(「私の個人主義」)とか「非人情」(「草枕」)、「人のためより、自分のため」(「道楽と職業」)というのもそうだけど、この「冷淡」も漱石の一生を貫くキーワードの一つだと思います。完成せずに死んでしまった「明暗」という最後の長編小説の主題も、まさにそのあたりにあります。登場人物が皆エゴイストで、だれもまわりの人たちを理解できない。でも、それこそ人間じゃないかと言っている気がします。「吾輩は猫である」で教師の仕事に「冷淡」という言葉を持ってくるのは、そう簡単なことではなかったと思いますが。
K 生徒が一人辞めようとも、教師にとっては大したことないって、ほんとにそうですよね。
W もうひとつ、漱石の面白い文章があります。「愚見数則」といって、まだ青空文庫にも入っていません。漱石が四国の松山で中学校の教師をしていた時に、中学校の雑誌に書いたものです。まだ28歳で、今読める漱石の文章の中でも、そうとう初めの頃のものです。
興味深いのは、中学校の生徒に向かって自分の信念のようなものを吐露していることです。この文章、『漱石文明論集』(岩波文庫)という本で読めます。もちろん、『漱石全集』(岩波書店)にも入っています。

 理事来たって何か論説を書けといふ。余この頃脳中払底、諸子に示すべき事なし。しかし是非に書けとならば仕方なし。何か書くべし。但し御世辞は嫌ひなり、時々は気に入らぬ事あるべし。また思ひ出す事をそのまま書き連ぬる故、箇条書の如くにて少しも面白かるまじ。但し文章は飴細工の如きものなり。延ばせばいくらでも延る、その代りに正味は減るものと知るべし
 (夏目漱石「愚見数則」  『漱石文明論集』岩波文庫 286ページより)

W この文章少し長いので、こちらで抜粋して、①から⑩までの番号を振らせてもらいました。原文は岩波文庫で8ページですから、この倍以上の長さです。

  余は、教育者に適せず、教育者の資格を有せざればなり。その不適当なる男が、糊口の口を求めて、一番得やすきものは、教師の位地なり。これ現今の日本に、真の教育家なきを示すと同時に、現今の書生は、似非教育家でも御茶を濁して教授し得るとふ、悲しむべき事実を示すものなり。世の熱心らしき教育家中にも、余と同感なもの沢山あるべし。真正なる教育家を作り出して、これらの偽物を追出すは、国家の責任なり。立派なる生徒となって、かくの如き先生には到底教師は出来ぬものと悟らしむるは、諸子の責任なり。余の教育場裏より放逐さるるときは、日本の教育が隆盛になりし時と思え。
 
  善人ばかりと思ふ勿(なか)れ。腹の立つ事多し。悪人のみと定むる勿れ。心安き事なし。
人を崇拝する勿れ。生れぬ先を思へ。死んだ後を考えよ。
人を観(みれ)ばその肺肝を見よ。それが出来ずば手を下す事勿れ。水瓜(すいか)の善悪は叩いて知る。人の高下は胸裏の利刀を揮(ふる)つて真二に割つて知れ。叩いた位で知れると思うと、飛んだ怪我をする。

  多勢を恃(たの)んで一人を馬鹿にする勿れ。己の無気力なるを天下に吹聴するに異ならず。かくの如き者は人間の糟(かす)なり。豆腐の糟は馬が喰う、人間の糟は蝦夷松前の果へ行ても売れる事ではなし。
 
  教師に叱られたとて、己れの直打(ねうち)が下がれりと思う事なかれ。また褒められたとて、直打が上つたと、得意になる勿れ。鶴は飛んでも寝ても鶴なり。豚は吠ても呻(うな)つても豚なり。人の毀誉にて変化するものは相場なり、直打にあらず。相場の高下を目的として世に処する、これを才子といふ。直打を標準として事を行ふ、これを君子といふ。故に才子には栄達多く、君子は沈淪(ちんりん)を意とせず。

  平時は処女の如くあれ。変時には脱兎の如くせよ。坐る時は大盤石(だいばんじゃく)の如くなるべし。但し処女も時には浮名を流し、脱兎稀には猟師の御土産となり、大盤石も地震の折は転がる事ありと知れ。
  
  小智を用る勿れ。二点の間の最捷径(さいしょうけい)は直線と知れ。
人を観よ。金時計を観る勿れ。洋服を観る勿れ。泥棒は我々より立派に出で立つものなり。

  威張る勿れ。諂(へつら)ふ勿れ。腕に覚えのなき者は、用心のために六尺棒を携へたがり、借金のあるものは酒を勧めて借主を誤魔化す事を勉(つと)む。皆己れに弱味があればなり。徳あるものは威張らずとも人これを敬ひ、諂はずとも人これを愛す。太鼓の鳴るは空虚なるがためなり。女の御世辞のよきは腕力なきが故(ゆえ)なり。

   馬鹿は百人寄っても馬鹿なり。味方が大勢なる故、己れの方が智恵ありと思ふは、了見違ひなり。牛は牛伴れ、馬は馬連れと申す。味方の多きは、時としてその馬鹿なるを証明しつつあることあり。これほど片腹痛きことなし。

  言ふ者は知らず、知るものは言はず。余慶(よけい)な不慥(ふたしか)の事を喋々するほど、見苦しき事なし。いわんや毒舌をや。何事も控え目にせよ。奥床しくせよ。むやみに遠慮せよとにはあらず、一言も時としては千金の価値あり。万巻の書もくだらぬ事ばかりならば糞紙に等し。

    世に悪人ある以上は、喧嘩は免るべからず。社会が完全にならぬ間は、不平騒動はなかるべからず。学校も生徒が騒動をすればこそ、漸々改良するなれ。無事平穏は御目出度に相違なきも、時としては、憂ふべきの現象なり。かくいへばとて、決して諸子を教唆するにあらず。むやみに乱暴されては甚だ困る。   
(夏目漱石「愚見数則」より抜粋。一部の漢字に読み仮名をつけてあります。 ) 

W どうですか?何か、面白いところありましたか?
K どうもところどころ記憶にあるような気がするんですよね。特に⑤なんか。どこかで読んだことあるのかな。
W ①は、自己否定しながら、生徒の側にも切り込んでいきます。③の大勢で一人をいじめることへの非難や、⑧の「味方が多ければ良いってもんじゃない」とか、良いなあ。「馬鹿は百人寄っても馬鹿なり」だって。
ユーモアもありますよね。「処女も時には浮名を流し」とか「脱兎稀には猟師の御土産になる」とか。全体としてみるとユーモアと御説教のスレスレの地点かな。読む人によって、どちらにも取られる可能性がありそうです。
K そうですね。お説教といえばお説教ですね。
W まあ、36章の「道楽と職業」でも出てきた「人の言うことに左右されるな、気にするな、自分は自分だ」ってところは、この文章からも充分に読みとれます。
K ④なんかそうですね。
W 漱石の「坊ちゃん」という小説は、この松山の中学時代の事を題材にしてますけど、「愚見数則」の約10年後、もう40歳に近くになってから、東京で書いたんですよね。「坊ちゃん」のなかでは、松山の中学生にからかわれた思い出なんかが随分出てきますが。リアルタイムの「愚見数則」、松山の中学生にはどう思われたんだろう。
K 漱石自身もその10年間でかなり変わったのかもしれませんね。
W 28歳って、ロンドンに留学する前でまだ独身でしたし、大学を卒業して、2年しかたってません。今の小池さんよりも若いんですよね。
K そうですか。学校の雑誌にいきなり「余は、教育者に適せず」なんて書いちゃうのも若さのあらわれでしょうか。
W 身近にいる28歳の人が、こんなこと考えてると思ったら恐いなあ。
K なにも怖がることはありません。おとなしくしてたら、危害は加えないでしょう。
W でも、なんで28歳の方が61歳より、圧倒的に思慮深いんだろう。
 僕は、この文章にはとても思い出があって、もう30年近く前に教育学の授業に資料として持って行ったら、すごく怒った学生がいたんです。あとで「ふざけるんじゃないよ」みたいな感想を書かれました。僕は学生にお説教するつもりは全然なくって、文章として面白いんじゃないかと思って持って行ったんですけどね。さっきの芥川の「保吉の手帳から」にあった、「生徒は学科以外のものを教わることを嫌悪する」ということなのかなあ。小池さんの言う「教育欲への嫌悪」というか。
K まあそうなのかもしれませんけど、昔は熱い学生がいたのですね。
W 非常に真面目な学生さんで、たしか大学院志望だったのかな。若い先生から教育社会学の最新理論か何か聞けると思ったらしいんです。僕は今も昔も教育社会学の最新理論とか、あんまり知らなくって。最新理論もすぐに古くなるし。芥川や漱石の小説の方が面白いんですけどね、僕は。変なのかなあ。
K まあ、両方やればよかったんじゃないですか。

三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ失敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひと通り済んだが、まだ帰れない、三時までぼつ然として待ってなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分の教室を掃除して報知にくるから検分をするんだそうだ。それから、出席簿を一応調べてようやくお暇がでる。いくら月給で買われた身体だって、あいた時間まで学校へ縛りつけて机と睨めっくらをさせるなんて法があるものか。しかしほかの連中はみんな大人しくご規則通りやってるから新参のおればかり、だだを捏ねるのもよろしくないと思って我慢していた。帰りがけに、君何でもかんでも三時過ぎまで学校にいさせるのは愚かだぜと山嵐に訴えたら、山嵐はそうさアハハハと笑ったが、あとから真面目になって、君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ。云うなら僕だけに話せ、随分妙な人も居るからなと忠告がましい事を云った。四つ角で分かれたから詳しい事は聞くひまがなかった。
 (夏目漱石「坊ちゃん」より)

W 上の引用は、漱石の「坊ちゃん」の最初の方です。四国・松山の中学校に主人公が赴任してきて、いろいろと学校の様子を知ろうとしている部分です。最近、久しぶりにこの小説を読み返したんですが、やはり面白かったです。小池さんは、読んだことありますか?
K さきほど実家の本棚に「猫」があったっていいましたけど、その隣に「坊ちゃん」もありました。こっちはたしかに読んだ覚えがあります。
W 1906年に発表されたものですから、もう100年以上たってるわけですが、このあとの学校を題材にした小説・映画・ドラマの原型ですね。いろんな工夫は加えられていたとしても、結局は「坊ちゃん」に帰ってきてしまうというか。
K ああ、たしかに所謂「学園モノ」のテレビドラマで描かれる構図は「坊ちゃん」みたいなのが多いですね。
W あと、教師―生徒関係はあまり描かずに、教師同士の関係に描写の力点が置かれているのが特徴かな。職員室にもいろんな人がいるというか、社会の一断面にすぎないという主張が明確です。「吾輩は猫である」もそうですが、登場人物がみな、あだ名で書かれているので、読みやすいと言うか親しみがわきます。山嵐とか、赤シャツとか、うらなりとか。
K そうですね。
W 上で引用した部分で、主人公は、用もないのに3時過ぎまで学校にいなきゃならないことに文句を言っています。用事が無くなったら帰ってもいいじゃないか、と言うことですね。
K 用がなければねえ、帰りたいですよね。気持ちはよくわかります。

が、不幸にして二年間の経験によれば、予は教育者として、殊に未来の海軍将校を陶鋳すべき教育者として、いくら己惚(うぬぼ)れて見た所が、到底然るべき人物ではない。少くとも現代日本の官許教育方針を丸薬の如く服用出来ない点だけでも、明に即刻放逐さるべき不良教師である。勿論これだけの自覚があったにしても、一家眷属の口が乾上る惧れがある以上、予は怪しげな語学の資本を運転させて、どこまでも教育家らしい店構へを張りつづける覚悟でゐた。いや、たとへ米塩の資に窮さないにしても、下手は下手なりに創作で押して行かうと云ふ気が出なかったなら、予は何時までも名誉ある海軍教授の看板を謹んでぶら下げてゐたかも知れない。しかし現在の予は、既に過去の予と違って、全精力を創作に費やさない限り人生に対しても又予自身に対しても、済まないやうな気がしてゐるのである。それには単に時間の上から云っても、一週五日間、午前八時から午後三時まで機械の如く学校に出頭してゐる訳に行くものではない。そこで予は遺憾ながら、当局並びに同僚たる文武教官各位の愛顧に反いて、とうとう大阪毎日新聞へ入社する事になつた。
 (芥川龍之介「入社の辞」より)

W 上の引用は、芥川龍之介が、横須賀の海軍機関学校を2年で辞めて、毎日新聞社に入社した時のことを書いたものです。26歳くらいだと思いますが。
K そうですか、まだまだ若いですね。
W 漱石も、この12年前に、大学の先生をやめて朝日新聞に入社しています。芥川は漱石を非常に尊敬していましたから、彼の影響もあったんだと思います。どちらの新聞社も、出社しなくてもよいと言う条件なんですね。出来た小説を新聞社に渡して、毎月の給料をもらう。どうですか、こういう生活?
K 大好きです。
W 僕もあこがれちゃいますね、こういう生活。
漱石の「入社の辞」は、芥川のよりは少し長くて、漱石らしい理屈が読めて面白いんですが、芥川のものは短めです。ここでは、「週5日午前8時から午後3時まで」という拘束時間の長さが問題にされています。このあたりはどうでしょうか?
K まあ純粋に作家として生きることを選んだということでしょう。
W 僕は大学でものを書いたことって、ほとんどないんですよ。人がそばにいると書けないと言うか、学校に行ってると、そもそも頭がそちらの方向に向かない。だから芥川の書いていることは良くわかります。
K でも大学辞めて、全精力を執筆にかける生活っていうのも選びがたいでしょ?
W それはそうですね。全く自信ない。定年まであと4年だけど。
それから、「坊ちゃん」も芥川の場合も、教師の勤務時間は午後3時までなんですよね。今の学校の先生に聞かせたら「なんてうらやましいんだ」ということになるんじゃないかしら。なかなか、今、3時には帰れないでしょ。
K そりゃそうだ。
W 100年以上前から同じ問題が残っていて、改善されるどころか、より悪くなっている。
K 当時も問題になっていたんですかね。教師で満足していた人たちにとっては、いい仕事だったんじゃないですか。
W 最近、「ブラック企業」という言葉が大学生の間で流行っています。そういう企業には、ひっかからないようにしよう、行かないようにしようということなんでしょうが。「ブラック企業」って、いろんな要因がありますが、残業が多いとか、残業手当くれないってのも、その一つですよね。
 これは学生が言ってたんではなくて、ネットで読んだんですが、「教職もブラック企業じゃないか」と書いてた人がいましたね。離職率が高かったり、精神疾患で休職する人も増えてきている。
K そうそう。公立でも問題になっていますが、私学で、学校によってはひどい勤務状況だっていう話も聞いたことがあります。
W 教職は専門職だから、仕事の内容が限定されないというか、ひろがってしまうという点は、ある程度仕方ないのかもしれません。専門職って、結局自分で考えて、自分で行動するってことですから。でもそれだからこそ、時間のことは、もう少し何とかならないもんでしょうかね。時間についても、自分で考えて自分で決められる、というように。
K そうですね。
W 大学生は「ブラック企業」だけでなくて「ブラック・ゼミ」という言い方もしますね、最近。「ブラック・バス」みたいだけど。
K 初めて聞きました。そんなのあるんですか?
W 1時から始まって、2時半に終わるはずのゼミを、毎週4時までやるとか。僕の場合、それだけは無いな。
K 物好きな先生もいるんですね。
W 「時間は貴重だ、長時間拘束されたくない」という意識は、中高年より若者で高いと思うけど、漱石や芥川の若い頃も、そうだったんですからね。決して軽視してよい問題ではないでしょう。


   (20141月  東京・大泉学園にて)

参考・引用文献
芥川龍之介  保吉の手帳から 1923
―――――  大導寺信輔の半生 1925
―――――  入社の辞 1919
―――――  あばばばば 1923  
―――――  お時儀 1923
―――――  魚河岸 1922
―――――  少年 1924
―――――  文章 1924
―――――  寒さ 1924

夏目漱石  吾輩は猫である 1905
――――  坊ちゃん 1906
――――  入社の辞 1907
――――  草枕 1906
――――  道楽と職業 1911
――――  私の個人主義 1914   
――――  明暗  1916
(以上  青空文庫より)

芥川龍之介  芥川龍之介小説集・第六冊・自伝小説編 岩波書店1987
             (中村真一郎編)
―――――  大導寺信輔の半生・手巾・湖南の扇 他12編  岩波文庫 1990(解説・中村真一郎)
新潮日本文学アルバム13  芥川龍之介  新潮社 1983(評伝 関口安義)
夏目漱石  愚見数則 1895『漱石文明論集』岩波文庫1986(三好行雄編)に収録 285293ページ