2013年6月13日木曜日

第33章 聖家族

--聖家族」は作家の堀辰雄が、1930年(昭和5年)に雑誌「改造」に発表した小説。作者25歳の時の作品である。師であった芥川龍之介の死と、自分をとりまく人間模様を、ヨーロッパ文学の新しい表現技法を使って描いている。(まとめ・渡部)--


W 今回は堀辰雄の作品「聖家族」です。文庫本で30ページ程度ですから、まあ短編小説と言ってよいと思います。ちょっと長めの短編小説。堀辰雄は昭和初期に活躍した作家で、1904年(明治37年)生まれ。1953年(昭和28年)に48歳で亡くなっています。
青空文庫には彼の作品が136点入っています。小池さんは堀辰雄のこと、なにか知ってましたか?
K まあ名前は知っていました。でもそれくらいですね。なにかを読んだことはなかったと思います。
W 僕は中学の時か高校の時かよく覚えていないんですが、「大和路・信濃路」という紀行文の一部が国語の教科書に載っていました。
K そうですか。
W この間、「風立ちぬ」っていう古い映画をテレビでやってたけど、見ませんでした?
山口百恵と三浦友和が主演で。僕、三浦友和と同じ年です。関係ないか。
K 関係ないです。見てなかったですね。うちは地上波しか映りませんよ。
W ああ、たしかBS放送でした。あの映画の原作が堀辰雄なんですよね。青空文庫にも入っています。軽井沢が今のように観光地化したのに、堀辰雄の小説が果たした役割は大きかったんじゃないかという話も聞いたことがあります。
K 「風立ちぬ」というと、今度同じタイトルで宮崎駿の映画をやるみたいですね。
W なんか関係あるみたいですよ、そのアニメ映画と堀辰雄。

死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。
 死人への家への道には、自動車の混雑が次第に増加して行った。そしてそれは、その道幅が狭いために、各々の車は動いている間よりも、停止している間の方が長いくらいにまでなっていた。
 それは三月だった。空気はまだ冷たかったが、もうそんなに呼吸しにくくはなかった。いつのまにか、もの好きな群衆がそれらの自動車を取り囲んで、そのなかの人達をよく見ようとしながら、硝子窓に鼻をくっつけた。それが硝子窓を白く曇らせた。そしてそのなかでは、その持主等が不安そうな、しかし舞踏会にでも行くときのような微笑を浮べて、彼等を見かえしていた。
 そういう硝子窓の一つのなかに、一人の貴婦人らしいのが、目を閉じたきり、頭を重たそうにクッションにもたせながら、死人のようになっているのを見ると、
「あれは誰だろう?」
 そう人々は囁き合った。
 それは細木と云う未亡人だった。――それまでのどれより長いように思われた自動車の停止が、その夫人をそういう仮死から蘇らせたように見えた。するとその夫人は自分の運転手に何か言いながら、ひとりでドアを開けて、車から降りてしまった。丁度そのとき前方の車が動き出したため、彼女の車はそこに自分の持主を置いたまま、再び動き出して行った。
(堀辰雄「聖家族」より)

W 上の引用は、「聖家族」の冒頭部分です。「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった」って、素敵な表現ですね。僕はこの小説、通っていた高校の図書室で読んだんですけど、この冒頭の一文が忘れられませんでした。40年以上、頭にこびりついて離れない。最初の一文が最も印象深かったわけです。作品の内容の方は結構、忘れてしまっていたんですけど。
トルストイの「アンナ・カレーニナ」の冒頭の一文「幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」(中村白葉訳)や太宰の「人間失格」の「私は、その男の写真を三葉、見たことがある」も忘れられないですけど。映画でも最初のカットが印象深くて、そこ観ただけで、どんな映画かわかっちゃうことってありますよね。ウディ・アレンの「アニー・ホール」とか。
K 以前、紀伊國屋書店で本の最初の一文だけをカバーに書いて並べるって企画をやっていて、おもしろいなと思ったことがあります。
W 最初のところで興味をひかれなかったら読まないもね、その先。それからもう一つ、この小説のことで覚えているのは「こういう日本語は初めて読んだな」という感覚でした。突然、全く未知なものに出くわしたという印象で。高校生の僕には、とてもショックでした。
K ちょっと翻訳書を読んでいるような感じがしました。
W そう言われてみるとそうですね。ただ読んだ当時、作者が25歳の青年とは知りませんでした。自分と10歳も違わない人間が書いたなんて。異様な才能ですね。
K 教科書に載っていた堀辰雄の文章は、普通だったんですか?
W そうですね。年をとってからの作品だったし、紀行文ということもあって、そう新奇な文章ではありませんでした。でも、列車の中から突然こぶしの花が見えたというところだけは、はっきり覚えています。「聖家族」の冒頭もそうですけど、ある言葉のまわりにだけ強い光があたるんです。そのため、読んだ人が「そこだけは忘れられない」という強烈な印象をもつことになります。
K この小説、お葬式から始まるんですよね。
W 芥川龍之介の葬式です。芥川が自殺したのは1927年(昭和2年)ですから、その3年後にあらわれた小説ということになります。この作品の中で、芥川は九鬼という名前になっています。それに、葬式そのものは描かれていません。葬儀に向かう車の列が、混雑のため、なかなか前に進まないという描写です。意表をついてますね。 
K 葬式から始まる小説ってほかにあるのかな。
W 僕は、芥川が書いた「枯野抄」という小説を思い出します。松尾芭蕉の臨終から死のありさまを書いた作品です。でも実は、夏目漱石の死を描写していて、漱石の死にあたっての弟子たち一人一人の立ちふるまいを、芥川の眼から辛辣に描いたものだと言われています。芥川も漱石の弟子の一人で、その場にいたんです。
K 系譜が続いているわけですね。
W 芥川龍之介は35歳で自殺したんですが、やはり死がぴったりくる作家です。芥川の葬式でなかったら、この「聖家族」という小説に、これほどスーッと入りこめなかったように思います。僕は高校生の時、芥川も大好きでした。夏休みの宿題の読書感想文、本は自由に選べたんですが、「羅生門」で書きました。

そこに一人ぎりになると、細木夫人はまた目をとじて死人の真似をした。
 ――まるで舞踏会かなんぞのようなあの騒ぎは何ということだろう。私はとてもあの人達の中へはいって行けそうもない。私はこのまま帰ってしまった方がいい……
 それにしても夫人はいまの青年の帰ってくるまで待っていようと思った。何だかその青年に一度どこかで会ったこともあるような気がし出したから。そう言えば何処かしら死んだ九鬼に似ているところがあると彼女は思った。そしてその類似が彼女に一つの記憶を喚び起した。
 数年前のことだった。軽井沢のマンペイ・ホテルで偶然、彼女は九鬼に出会ったことがあった。その時九鬼はひとりの十五ぐらいの少年を連れていたが、彼はその少年にちがいないと思い出した。――その快活そうな少年を見ながら、彼女がすこし意地わるそうに、「あなたによく似ていますわ。あなたのお子さんじゃありませんの?」そう言うと、九鬼は何か反撥するような微笑をしたきり黙りこんでしまった。その時くらい九鬼が自分を憎んでいるように思われたことはない……
                    (堀辰雄「聖家族」より)
 
W そう言えば、僕が2年前に入院してた時、見舞いに来てくれた小池さんが帰ったあと、看護婦さんが「息子さん、よく似てらっしゃいますね」って言ってましたよ。今、思い出しました。
K 残念です。生きていく気力がなくなりますね。
W もっと自分に正直に生きた方がいいですよ。

それを見ながら、さっきからこの青年と九鬼とは何処がこんなに似ているのだろうと考えていた細木夫人は、やっとその類似点を彼女独特の方法で発見した。
 ――まるで九鬼を裏がえしにしたような青年だ。
 このように、彼等が偶然出会い、そして彼等自身すら思いもよらない速さで相手を互いに理解し合ったのは、その見えない媒介者が或は死であったからかも知れないのだ。
                    (堀辰雄「聖家族」より)

W この小説、主要な登場人物は四人です。死んだ作家の九鬼。これは芥川龍之介。二人目は河野扁理という20歳の青年で、これは作者の堀辰雄本人です。あと、冒頭にも出てきた細木夫人と、彼女の娘の絹子。細木夫人と九鬼には恋愛関係があったと暗示されています。また、小説の進行とともに、扁理と絹子の間にも愛情が芽生えてきます。四人の主要人物のうち、一人はすでに死んでいるというところが興味深いです。この四人のなかでは、誰が印象的でしたか?
K まあ、やっぱり主人公の河野扁理ですかね。九鬼は先生の中の芥川像に近いですか?
W そう。近いですね。晩年の芥川は、かなり気弱くなっていたと思うんですけど、この小説の九鬼にもそんな感じがでています。

彼は丁寧に封筒を切りながら、ひょいと老人のような微笑を浮かべた。何も彼も知っているんだと言った風な……
 ――扁理はそんな風に二通りの微笑を使い分けるのだ。子供のような微笑と老人のような微笑と。つまり、他人に向ってするのと自分に向ってするのを区別していたのだ。
 そうしてそういう微笑のために、彼は自分の心を複雑なのだと信じていた。
                    (堀辰雄「聖家族」より)

W 心理描写、それも外から自分を客観視するような分析と描写は、この小説の大きな特徴だと思います。三島由紀夫の小説でもよくお目にかかりましたが、時代的には、あきらかに堀辰雄の方が先なわけです。
「子供と老人の微笑、他人用と自分用の微笑を使い分ける」ってあたりどうですか?小池さんにも、そういうところあるんじゃないかと思うんだけど。
K ああ、そうですかね。さすがにそれで自分の心を複雑だとは思いませんけどね。

或る晩、彼の夢のなかで、九鬼が大きな画集を彼に渡した。そのなかの一枚の画をさしつけながら、
「この画を知っているか?」
「ラファエロの聖家族でしょう」
 と彼は気まり悪そうに答えた。それがどうやら自分の売りとばした画集らしい気がしたのだ。
 「もう一度、よく見てみたまえ」と九鬼が言った。
 そこで彼はもう一ぺんその画を見直した。すると、どうもラファエロの筆に似てはいるが、その画のなかの聖母の顔は細木夫人のようでもあるし、幼児のそれは絹子のようでもあるので、へんな気がしながら、なおよく他の天使たちを見ようとしていると、
「わからないのかい?」と九鬼は皮肉な笑い方をした……
 扁理は目をさました。見ると、散らかった自分の枕もとに、見おぼえのある、立派な封筒が一つ落ちているのだ。
 おや、まだ夢の続きを見ているのかしら……と思いながら、それでもいそいでその封を切って見ると、手紙の中の文句は明瞭だった。ラファエロの画集を買い戻しなさいと言うのだ。そしてそれと一しょになって一枚の為替が入っていた。
 彼はベッドの中で再び眼をつぶった。自分はまだ夢の続きを見ているのだと自分自身に言ってきかせるかのように。
(堀辰雄「聖家族」より)

W 過去の思い出だけでなく、夢の中にも九鬼が生きていて、作品に幻想的な色彩をつけくわえています。
K はい。
W この作品には夢の場面がいくつか出てきます。「彼は夢の中で飛ぶことができた。そのおかげで、彼はその部屋の中を窓ガラス越しに見ることができた」というところもあります。ここの「彼」も扁理ですが。飛ぶ夢を見ることのできる人って、本当にいるらしいですね。うらやましい。

突然、或る考えが扁理にすべてを理解させ出したように見える。さっきから自分をこうして苦しめているもの、それは死の暗号ではないのか。通行人の顔、ビラ、落書、紙屑のようなもの、それらは死が彼のために記して行った暗号ではないのか。どこへ行ってもこの町にこびりついている死の印。――それは彼には同時に九鬼の影であった。そうして彼にはどうしてだか、九鬼が数年前に一度この町へやってきて、今の自分と同じように誰にも知られずに歩きながら、やはり今の自分と同じような苦痛を感じていたような気がされてならないのだ……
 そうして扁理はようやく理解し出した、死んだ九鬼が自分の裏側にたえず生きていて、いまだに自分を力強く支配していることを、そしてそれに気づかなかったことが自分の生の乱雑さの原因であったことを。
 そうしてこんな風に、すべてのものから遠ざかりながら、そしてただ一つの死を自分の生の裏側にいきいきと、非常に近くしかも非常に遠く感じながら、この見知らない町の中を何の目的もなしに歩いていることが、扁理にはいつか何とも言えず快い休息のように思われ出した。
                 (堀辰雄「聖家族」より)

W この小説には、死という文字が、たくさんでてきます。今回引用した5ヶ所の中だけでも、12個あるんです。小説の最初の1字も「死」ですしね。「死があたかも」って。
K そういわれてみるとそうですね。
W 最後の引用のところ、扁理が見知らぬ町を一人で歩く姿を描いているんですが、死のイメージが特に強烈です。それと、リルケの「マルテの手記」に雰囲気が似てると思いました。
僕にはお気に入りの「死の3部作」ってあるんです、若い頃から。この「聖家族」と、リルケの「マルテの手記」、それに吉本隆明の「エリアンの手記と詩」です。3つとも荘厳な死に彩られています。主人公の名前は書かれた順番に、マルテ、扁理、エリアンですね。
 「マルテの手記」は堀辰雄も好きだったようで、青空文庫にも抄訳と解説の2つが入っています。この作品の冒頭部分の日本語訳を6つ並べてみます。原文はドイツ語ですが。①の翻訳は堀辰雄のものです。

   九月十一日、トゥリエ街にて
一體、此處へは人々は生きるためにやつて来るのだろうか?寧ろ、此處は死場所なのだと思った方がよくはないのか知らん?私はいま其處から追ひ出されてきた。私はいくつも病院を見た。私は一人の男がよろめき、卒倒するのを見た。人々はかれのまはりに集り、私はその餘のものを見ないようにさせてくれた。
(ライネル・マリア・リルケ「マルテ・ロウリッツ・ブリッゲの手記」から(堀辰雄訳)
   191019341935より)   

  九月十一日 トウリエ街にて
 人々は生きるためにこの都会へ集まって来るらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでいくとしか思えないのだ。僕はいま外を歩いて来た。僕の目についたのは不思議に病院ばかりだった。僕は一人の男がよろめいて、ぶっ倒れたのを見た。たちまち大勢が人垣をつくったので、それから彼がどうしたかわからなかった。
 (リルケ「マルテの手記」(大山定一訳)新潮文庫 8ページ 1953より)


  リュ・トゥリエ、九月十一日 
つまり、ここへ人々がやってくるのは、生きるためではあるのだろうが、それより僕の受けとる感じでは、ここにいれば死ぬことになるとでもいうかのようだ。ぼくは出かけていた。目にふれたのは、いくつもの病院だった。また、よろめいてばったり倒れる一人の男だった。彼のまわりに人々が群がり、そのあとを見ないですむようにしてくれた。
(同上・川村二郎訳 世界文学全集30 集英社 5ページ 1974より)

  九月十一日 トゥリエ街 
こうして人々は生きるためにこの都会へ集まって来るのだが、僕にはそれがここで死ぬためのように考えられる。僕は外出してきた。そしていくつもの病院を見た。一人の男がよろめいて倒れるのを見た。人々がその男のまわりに立って、そのために僕はそのあとを見ずにすんだ。
(同上・望月市恵訳 岩波文庫 7ページ 1946より)

  九月十一日、トゥリエ街
そう、要するに人々は生きるためにこのパリにやってくる。だがぼくには、むしろここでは何もかもが死んでゆくように思えてならない。ぼくは外に出ていた。やたらに病院ばかり目についた。ぼくはよろよろと倒れる人を見た。たちまちそのまわりに人垣ができ、あとはみないですんだ。
(同上・高安国世訳 講談社文庫 7ページ 1971より)

  九月十一日、トーリエ街にて
 そう。こうして人々は生きんがためにこの都市へ集まってくるらしい。が僕にはむしろ、ここではみんな人が死んでゆくとしか思えない。僕は街をぶらついてきた。僕の目についたものといったら、病院ばかりだった。僕はまた一人の男がよろめいて、へたへたと道で行き倒れてしまうのを見た。たちまち物見高い人たちがその男の周りにたかってしまったので、それから先のことはどうやら見ないですんだ。
(同上・芳賀檀訳 角川文庫 6ページ 1959より)


W どうですか?
K はじめて読みましたが、興味をそそられる書き出しですね。
W 僕はやはり、「翻訳によって、ずいぶんイメージが変わるもんだな」という印象を持ちました。この作品、文庫本でも300ページ近くの、長いものですから、やはり自分にあった翻訳を選ばなくては。小池さんは、この6つの中では、どれがよかったですか?
K 読みやすいのは②かな。
W 僕は⑤の高安国世さんの訳ですね。表現が簡潔で短文。スピード感もある。字数も少ない。それにパリという地名を補っているのは高安さんの訳だけです。
たしかに②の大山定一さんの訳もいいですね。「ぶっ倒れた」なんてところが特に。「聖家族」の日本語は1種類しかないけど、「マルテの手記」は何通りも楽しめます。
この6つの訳の中では、堀辰雄の訳ってどんな特徴があるのかな?
K 旧字体ですね。
W あはは、堀辰雄のだけ戦前で、あとはすべて戦後の翻訳ですからね。他の人の翻訳だと「僕は外出していた」「街をぶらついていた」という訳のところが、堀のでは「私はいま其処から追い出されてきた」となっていて、独特ですね。ちょっと意味不明。それから、堀辰雄だけ「私」を使っています。他の人はみんな「僕」だけど。
K 言われてみると、そうですね。
W 僕の「死の3部作」の3つめは、吉本隆明の「エリアンの手記と詩」です。

僕はくらくらと眩暈がして、一瞬何も視えなくなった  風が白いカーテンを揺らする音を立てた  <エリアンおまえは此の世に生きられない おまえはあんまり暗い>    
どうして僕は死ぬことに失敗したのか 
(吉本隆明 エリアンの手記と詩 吉本隆明初期詩集 講談社学芸文庫 194619471992より)

翌る年の三月、もう旅立ちも間近な或る夕べであった  ミリカとオト先生に訣れの便りをしたためると、もう独りで遠い国へ行けるように思われた  誰にも乱されないしずかな孤立  それは長い間憧れていた僕の生きる哀しみの底に触れ得たような感じであった  賑やかな人の世の表皮の遥か底を流れる哀しみの泉   
  (吉本隆明・同上)

W この作品については、第19章の後半「吉本隆明について」というところでも簡単に触れました。1947年(昭和22年)頃の作品です。
K 「マルテの手記」「聖家族」「エリアンの手記と詩」は、お互いに似てるところがあるということですか?
W そうです。まず3つとも主人公の身近なところに「死」があります。死にとりつかれている。作品が書かれたとき、リルケ34歳、堀辰雄25歳、吉本隆明が22歳でしたが。それに3つとも小説と言えば小説ですが、詩を読んでるような気分にもなってきます。「作品全体が一つの長文詩」と言ってもよいのではないでしょうか。話の筋はそれほど重要ではない。
それから扁理とかエリアンといった主人公の名前から分かるように、ヨーロッパに目を向けているところがありますね、堀と吉本の作品は。日本から離脱したいというか。僕は3つとも大好きです。
K なるほど。
W 話は「聖家族」に戻りますが、小池さんは、この小説で印象的なところ、ありました?
K 小説の書き出しも興味深いですけど、僕は終わり方も気になるんですよね。この小説の最後もかっこいいなと思いました。

「そうかしら……」
絹子はそう答えながら、始めはまだ何処かしら苦痛をおびた表情で、彼女の母の顔を見あげていたけれども、そのうちにじっとその母の古びた神々しい顔に見入りだしたその少女の眼ざしは、だんだんと古画のなかで聖母を見あげている幼児のそれに似てゆくように思われた。
(堀辰雄「聖家族」より)

K あ、これで終わるんだっていう、ちょっと唐突な感じがしました。
W 一番、最後のところですね。話が途中でぶっつり切れて終わる感じです。作者が話の展開には、もともとあまり興味なかったんじゃないかしら。
次の文章は文芸評論家の小林秀雄が1932年に書いた「聖家族」の紹介文です。短いものですから全文、引用してあります。

堀辰雄の「聖家族」
 この好短編の発表された当時、多くの批評がなされた。私はここにそれらを繰返すまいと思う。今度この短編が作者の装幀で、少数の文学愛好者の手にわかたれるに当って、私は猶更批評めいた批評を口にしたくない。この若々しい制作は、勿論あらゆる批評をくぐり、而も静謐をみださぬ底の厳しさはもっておらぬ。
 併し(しかし)、この作品には発表当時受けた処の幾多の批評を穏和にだが笑殺する底の切実なる味いは確と定着されておる。私は今その事を考えている。それは何と言ったらいいだろう。私は彼の微笑など思い浮べてみたりしながら、判然と感じている様に思い乍らうまく言えずにいる。
もしかしたらそれは彼の持って生まれた羞恥というものではないのかしらん。彼の穢れない羞恥が輝やいておるのではないのかしらん。「聖家族」に溢れている羞恥は美しい。と言ってもいいのではないか、彼は羞恥のうちに生きている。或は病気している。
 彼は今度の本のノオトに書いていた。一年振りで恐る恐る雑誌の切抜きを読んでみた、と。私は彼の声を聞く様な気がした。
 人々がもっと彼を理解してくれるように。この作は容易な作ではない。
(小林秀雄 堀辰雄の「聖家族」 小林秀雄全作品3 新潮社 213-214ページ 19322002より)

W どうですか、小林秀雄の評価は?
K 具体的なことはあまり言っていないわけですけど、すごく好きなことは伝わってきますね。
W 逆に「聖家族」というか堀辰雄を全否定したような評論もあります。文芸評論家の江藤淳が書いた『昭和の文人』という本です。

こう決意してしまえば、「聖家族」の成否の鍵は、一にかかって作者が、この目的のために好適な文学上の技法を、見出し得るかどうかに存するということになる。堀辰雄は幸い、実際にそれを見出すことができたが、その鍵となる技法を、こともあろうにレイモン・ラディゲの「ドルジェル伯爵の舞踏会」の擬古典主義の中に見出したのである。

かくして、現実の世界で起った芥川龍之介の自殺は、堀の「夢」を木っ端微塵に打ち砕いたけれども、『聖家族』の九鬼の「死」は逆に「上品な顔立」の青年、「河野扁理」を細木夫人に接近させるきっかけをつくる、ということになる。
(中略)
 さらにまた、芥川の死と彼自身の病苦と貧困のために、大森の片山家からも遠ざからねばならなかった実生活上の不如意とは対照的に、「堀辰雄」ならざる「河野扁理」は、しげしげと細木家の客間に出入りし、細木夫人の娘絹子に「愛」を自覚させる、ということになり、絹子は旅行に出た「扁理」が、九鬼同様に死ぬのではないかという強迫観念にとらわれる、ということになる。
(江藤淳「昭和の文人」新潮社、1989年、239240ページ、243ページ より)

W この江藤さんの本、中野重治や平野謙といった文学者も批判してるんですけど、特に堀辰雄に厳しくて、「この憎悪感は、一体どこからでてくるんだろう?」と思ってしまいました。さらにこの『昭和の文人』という本の書評で、先ほどの吉本隆明さんは次のように書いています。

堀辰雄
(中略)
(3)芥川の愛人と目された片山広子が日本銀行理事片山貞次郎の夫人であり、その娘総子(宗瑛)に取入ろうとして、実生活のうえでも、作品(「聖家族」「美しい村」「菜穂子」)のうえでも、あたかも恋人であるかのようなフィクションを故意に設定して、片山総子の縁談をこわし、総子からひんしゅくと憎悪をかった。

 この本の著者江藤淳によれば、これらの罪状はたんにフィクションを事実のなかにそしらぬ風をしてまぎれ込ませて、おおきな自伝的事実にみせかけたというだけでなく、人倫上ゆるされない限界のすれすれであったり、ときに越境して周囲の人間関係を破壊したりして、人格的な崩壊をきたしている。

わたしはこの著者ほど過激ではないが堀辰雄の文学にわたしなりの不満を感じてきた。それは概していえば堀辰雄が「貧困」や「知識」の問題の処理をどうしたのか、それとも何もしなかったか、ということで堀辰雄の文学にたいする批判とつながりをもつものだといっていい。
(吉本隆明『新・書物の解体学』メタローグ 5961ページ、江藤淳「昭和の文人」より)

K この江藤淳や吉本隆明の意見については、どう思いますか?
W この「聖家族」という作品には、実在のモデルがいるわけで、こうした問題はおこりえるでしょうね。三島由紀夫の『宴のあと』のように裁判になった小説もあります。ただ、「聖家族」がそこまでのものとは、僕には思えませんでしたけどね。江藤さんは片山親子の証言など、証拠をいろいろ集めていますけど。「人倫上ゆるされない限界のすれすれ」と言うのはどうなんだろう。
それに小説家で、まわりの人間にすごく迷惑をかけながら、すぐれた作品を次々に書いた人もいますよね。小池さんの大好きなDさんとか。そのあたり、あまり厳格にすると傑作は生まれてこなくなるんじゃないのかな。
K 吉本さんの言っている「貧困や知識の問題の処理」についてはどうですか?
W 「知識の問題」って具体的にどういうことを指しているか、わかりますか?僕にはよくわからないんです。堀辰雄が、ヨーロッパの作家の作品に強く影響を受けたり、模倣したってことかなあ。
K さあ。
W 「貧困の問題を処理しなかった」というのは、自分の家の貧しさを隠したり、自分の書くものの中に、きちんと描かなかったということですよね。たしかに、芥川、堀、吉本はいずれも東京の下町育ちで、三人とも家は裕福じゃなかったんです。芥川や吉本はそのあたりのことをいろいろな形で書いているけれど、堀辰雄にはそういう文章があまりないようです。
K じゃあ、さっきの「知識」は実体験とか経験ってことかもしれませんね。
W でも、この「聖家族」の中でも、「扁理が貧乏で困っていた」とか、「金がなくて大切な画集を売り飛ばしちゃった」ってことは書いてあるわけですよね。「良いとこのお坊ちゃん」という記述にはなっていない。嘘は書いてないんです。
「扁理は貧乏だ」って書かなくても「聖家族」という小説は充分に成り立つと思うんだけど、わざわざ書いている。「恥ずかしかったけど、書きました」という感じで。僕は小林秀雄の「『聖家族』に溢れている羞恥は美しい」という言い方のほうに賛成したい気持ちです。
それに永井荷風や萩原朔太郎のように生家が金持ちで、べつに働かなくてもよかった人達に比べれば、充分にハンデを負って生きているわけです。「自分の家は貧乏でした」って本人が書きたければ書いてもいいけど、別に書きたくなければ書かなくてもいいんじゃないのかな。僕だったら書きたくないですね、そんなこと。「書かなかったから世の中を偽った」というわけでもないでしょ。
K よくわかりませんけど、たぶんそういった単純なことではないんじゃないですか。
W やっぱり、堀辰雄の上昇志向とか立身出世願望が、まわりの人間からは目に余るように見えたということがあったのかな。江藤さんは、「あまり豊かでない義父からお金ををせびっていた」なんてことも書いています。
それから、先ほどの「知識の処理」の問題ですが、堀辰雄が「聖家族」を書くにあたって、ラディゲやリルケをはじめとした、西洋の作家の影響をいろいろな形で受けていたというのは間違いないと思います。でも堀辰雄自身、そうした影響のことを全く隠してないんですよね。あっけらかんとしてるというか。青空文庫にも、それらの作家について書いた堀の評論がたくさん入っています。
K そうですか。
W ところで今回、堀辰雄のもう一つの小説「燃ゆる頬」についても、読んできてほしいって言ってありましたよね。1931年(昭和6年)というから「聖家族」の翌年、作者が26歳の時に雑誌「文芸春秋」に掲載された作品です。文庫本で15ページ程度ですから「聖家族」の半分くらいの長さですね。読んでみて、どうでした? 
K まあ、こっちのほうが読みやすく、わかりやすかったですよね。
W 次の引用は、この小説が雑誌に掲載された直後、作家の川端康成が書いた批評文です。

7 堀辰雄氏の「燃ゆる頬」
 堀辰雄氏の「燃ゆる頬」(文芸春秋)は、少年の同性愛、性の目覚めによる少年の日の「脱皮」を扱ったものであるが、このように清潔な作品を、私は殆ど見たことがない。この作品を読んで、私は少年の日を思い出し、しかも私には少年の日などなかったかのような嘆きに清められるのは、ここに少年の世界が描かれているからではなく、この作品が気品の高い少年そのものだからである。 
 蜜蜂による花の愛情を見る冒頭にしろ、二人の少年が旅のゆきずりに声変りの頃の少女を見て、彼等の同性愛の日が閉じる頂点にしろ、少年の微妙な性感は、いたるところに細かい鋭さで洗い出されて、淡彩な筆触とは似もつかぬ、激しい官能の匂いを放っているけれども、しかしなによりも、みずみずしい清潔さが私を惹きつける。
 作者の感覚が少年のような清潔な裸でいることは、全く驚くべきである。
(川端康成『文芸時評』(昭和7年) 講談社文芸文庫 6162ページ、19322003より)

W 「二人の少年が旅のゆきずりに声変わりの頃の少女を見て、彼等の同性愛の日が閉じる頂点」というのは次のところです。

翌日も雨が降っていた。それは昨日より一そう霧に似ていた。それが私たちに旅行を中止することを否応なく決心させた。
 雨の中をさわがしい響をたてて走ってゆく乗合馬車の中で、それから私たちの乗り込んだ三等客車の混雑のなかで、私たちは出来るだけ相手を苦しめまいと努力し合っていた。それはもはや愛の休止符だ。そして私は何故かしら三枝にはもうこれっきり会えぬように感じていた。彼は何度も私の手を握った。私は私の手を彼の自由にさせていた。しかし私の耳は、ときどき、何処からともなく、ちぎれちぎれになって飛んでくる、例の少女の異様な声ばかり聴いていた。
           (堀辰雄「燃ゆる頬」より)

W 女の子も声変わりってするんだ。知ってました?
K いやあ、知らなかったです。
W 川端康成は「伊豆の踊子」や「雪国」の作家で、ノーベル賞もとりましたが、若い頃には文芸評論家としても活躍していました。上の文章も入った『文芸時評』という川端の本が講談社文芸文庫から出ていますが、とても面白く読めます。昭和6年から昭和13年までに発表された小説の批評なんですが、とにかく手厳しいと言うか、辛辣な評ばかりなんです。それだけに、この「燃ゆる頬」という作品に対する絶賛ぶりが、とてもめだちました。
K へえ。
W 「聖家族」が25歳、「燃ゆる頬」が26歳の時のものだけど、2つを比べてみてどうですか?
K うーん、「聖家族」は今のことを書いている、「燃ゆる頬」は過去を思い出して書いているっていう違いなのかなと。
W 現在と近い過去ですか。それから、「燃ゆる頬」のように「私は」という一人称の形で書くと、文章がおとなしくなる。「聖家族」のような、とび跳ねた表現技法は使いづらくなります。発表当時の文章上の新しさは「聖家族」の方が上だったんでしょうけど、現在読みやすいのは「燃ゆる頬」の方ですね。普通の文章というか素朴な書き方のほうが命をながらえる。実験的な文章表現の難しさを感じました。
 また「燃ゆる頬」のようなテーマを、堀辰雄がどうやって思いついたのかも興味深いところです。今から80年以上も前のことですし。森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」にも少年同士の性愛がちょっと出てきますが、「燃ゆる頬」はそのテーマだけで全編が作られていますからね。そこはとても不思議です。やはりヨーロッパに何か、お手本があったのかな。

                     (20136月  東京・大泉学園にて)

<参考・引用文献>
堀辰雄  聖家族    1930
―――  燃ゆる頬   1931
―――  風立ちぬ   1937
―――  大和路・信濃路  19431944
―――  オルジェル伯爵の舞踏会  1929
―――  マルテの手記 1940 
リルケ  「マルテ・ロオリッツ・ブリッゲの手記」から(堀辰雄訳)191019341935
芥川龍之介 枯野抄  1918
森鴎外   ヰタ・セクスアリス  1909
               (以上 青空文庫より)

堀辰雄  燃ゆる頬・聖家族   新潮文庫(解説・丸岡明)193119301947
新潮日本文学アルバム  堀辰雄(編集・評伝 小久保実)新潮社  1984 
リルケ  マルテの手記  1910
――――――――――― 大山定一訳  新潮文庫  1953
――――――――――― 川村二郎訳  世界文学全集30  集英社  1974
――――――――――― 望月市恵訳  岩波文庫  1946
――――――――――― 高安国世訳  講談社文庫  1971
――――――――――― 芳賀檀訳   角川文庫  1959
吉本隆明  初期詩集  講談社文芸文庫  1992
――――  新・書物の解体学  メタローグ  1992
江藤淳   昭和の文人  新潮社  1989
小林秀雄  小林秀雄全作品3  新潮社  2002
川端康成  文芸時評  講談社文芸文庫  2003